入社に至るまでの期間、彼はクラップでアルバイトの経験があった。
Sさんのきっかけは、代表の伊川さんと同じ大学・研究室の後輩で、世代が違うため重なる時期はないが、同じ研究室の教授で縁があったという。
「私自身が特に大きな夢や希望をもって、夢を描くタイプではないので、消去法で考えて、アルバイトは大学終わりに寄れるので、普通にやってみようかなと始めました。」と話した。
大学では生産工学部だったという彼は、学生時代は製品設計や図面を描く等をしていたそうだ。
「物作りが元々好きでその大学に入学したんですが、その時も消去法で選び、やはり物作りは興味あるかなと思えたのです。」
学生の間、彼は主に学習をサポートする支援員としてクラップに通った。
大学を卒業した島さんは、一度クラップのアルバイトを辞めメーカーに就職していた。
生産拠点である福島県の磐木で新しい仕事をスタートさせ順調ではあったが、2年後、転機が訪れた。
当時の家庭の事情で勤め先や生活環境を変更せざるをえなくなったという。
すでにアルバイトを辞めていた彼だが、そのような時でもクラップとの縁はつながっていたそうだ。
「新年会や創業祭等の飲み会には毎年呼ばれていたので福島から千葉まで飲み会に行っていました。
そこで辞めた後も『いつうちに来るの』 『うちにおいで』とずっと声をかけてもらっていたんです。
飲み会の席だったので、あまり本気に捉えていなかったのですが、ちょうど3年目ぐらいのときに、『本気で言っているんだけど』という話があり、前の会社は嫌ではなかったのですが、他にいろいろな事があったので、その時の『ノリ(気分)』で今の会社に決めました。
家庭の事情もあったので、それこそ悩んでいなかった訳ではないのですが、そんな時も『もうなるようにしかならない』という感じで、先を考えるタイプでもないので『そんなもん死にやしないだろう』くらいに思っていたと思います。」
と当時の心境も語った。
Sさんは正社員となったが、アルバイトの頃に比べると、支援や制度がまとまり会社も拡大している。
彼自身も支援だけではなく、次第に会社の管理という役職も任されるようになってきたそうだ。
現在、直営の各校舎には管理者がいるが、その上で直営の校舎全体の管理やFC先との現場のやり取りという業務を彼は担っている。
「経営者側とのやり取りは別の職員が担当しますが、現場は主に私が担当し、協力し合いながら進めています。」
「現場では(愛嬌交じりに)これやれーと言っていますね。それが悪癖でもあり自制もしていますが、人と喋るのは結構得意なので現場での取引の担当をしています。」
各事業所の管理者のサポートをするには、コミュケーションケーションは不可欠であるが、島さんは
「得意ではあるがそれは仕事というスタイルがあるからこそできる。」とも述べた。
一方で彼のサポート業務は幅広い。
「実は今、ある校舎専任のスタッフが体調不良で一時的に人がいなくなったので、私がそこでしっかりと支援に入っています。
以前は別の校舎で管理者をしながらもちろん支援もしていたので、勉強も中学生レベルぐらいであれば、私は極端な部分以外は教えることに不安はありません。」
と話し、支援も担う彼だが支援についての考えも述べた。
「クラップの仕事について興味を持った時、そこで自分は支援が出来るかと不安に思う方がいるかもしれない。
その大半は勉強を教えることについて『私、教えられないので』と思うようです。
そこで私は勉強を教える必要はないと何度も伝えていますが、そこには理由があり、『教えられる人が教えればいい』のです。
例えば、保育士の資格を持った指導員がいて、生徒に『私は将来、保育士になりたいです』という話があった時は、保育士のことについてアドバイスができるその指導員とチェンジします。逆にその指導員が例えば数学で、『2次関数でここはわからないです』ということであれば、そこを私やわかる人でチェンジするというように行っています。そういう理由で『わからない事を気にしないでいい』とは伝えています。」と話した。
事業所の現場ではスタッフ同士お互いの得意な部分を活かし、難しいところはサポートし合い支援に臨んでいるようだ。
Sさんも習志野校等で生徒に勉強を教えているが、高校生になると手に負えない難しい場面に出会うこともあるという。
そこが仕事で任されている部分でもあると話す彼は次のように対応するそうだ。
「例えば『先生もわからないからこれ調べよう』と、子どもにも言いますし、どのスタッフにも、自分が管理者となって上に立った時は伝えることがあります。
『大人がわからないって言わないと、子どもも恥ずかしがってわからないって言ってくれなくなる。だから口ではスタッフがはわからないと言っていいですから。』と。それで一緒に調べようと言って対応します。」
子どもがわからないと言える環境作りも大切であるようだ。
「漢字だって私自身、ど忘れしますから、そんな時は『駄目だ、全然出て来なくなっちゃった』と言って『間違ったことを教えるわけにいかないから調べるから待っていて』と、タブレットPCを持ってきて調べてたり、あとは本人がもう中学生なので、あえてわからないふりをしてタブレットを渡したりします。
『自分の携帯で調べてごらん』と声かけながら、それはゲームするための道具ではなくて便利なもので、調べることにも使える。だから使えるようになっておこうよ』とそこも伝えます。
高校生レベルのもので正直、こちら側もわからないところはあります。例えば、高校3年生が音学大学の入学前に事前課題を持ってきましたが音楽についてはわからないです。だからそこでは『調べるよ』と言って調べ方から伝えていました。」と語った。
子どもへの対応で彼が『基本中の基本』を伝える事には理由があった。
「塾ではないので、そういった課題の内容でわからないところを解説する責務はないんですが、授業でできる範囲のことはある程度やっています。
結局、ここを卒業した後に、『自分でわからなかったらどうするのか』という事に対して、大学は大学の先生に聞くと思うのです。
でもその場合にアポイントを取らなくてはいけないし、話しかけ、質問しなくてはいけない等があります。
その為、そのようなやり方や自分で調べて学ぶ方法を見つけていかなければと思っています。」
Sさんは子どもたちの将来について考え、手立てを伝えて、身につけていくことを念頭に置いている。
アルバイトから一度は畑の違うところ勤め、再びクラップの事業所で働く彼はどんなことにこの仕事のやりがいを感じているのだろか。
「子どもの成長を見られることはやりがいとして、もちろんあります。いい話だと、フィードバックがあるかなと思います。
この事業所が『どんな成長が見られるのか』という『できる話』をする場所ではないというのは理解していますが、でもやはり子ども自身ができなかったことができるようになっていたり、そこに対して何か折り合いがつくように自分でやれるようになっている等みられた時は感じますね。
受験では、『何とか頑張って、私は進学できた』という事があった時に思います。また、児発管から『保護者の方と面談したら、抱えていた悩みや問題が何とかなりました』とモニタリングが終わった時に話があると、支援員としては良かったともちろん思います。」
彼も子どもや保護者を支援していく中で一緒に喜びを感じているようだ。